“良い文章”とリンゴのはなし。
こんにちは、いしだたみです。
最近 言葉 について考える機会が多いです。迷走期なのかもしれません。
さてこうやって詩やらお話やら文章やら書いてると、何だか
「良いこと言ってる」
「綺麗な文章だなあ」
「凄く好きな言葉」
と思われる一族と、
「いやこいつイタいなあ」
「自分に酔いすぎ」
「言葉がキラキラしてる(笑」
と思われる一族が居る気がする。
何だろうこの違いは。
その人自身の好感度、という身も蓋も無い説明で終わってしまう気もする。えー、それは何か悲しい世界だなぁ。
もしくは世間から認められてる度合い。肩書きは一番分かりやすいステータスだ。
「小説家」「詩人」「脚本家」「作家」...
そういうものが付けば 何を書いても許されるように思える。いやきっと誰が何を書いても許されるんだとは思うけど。
「他人の目なんか気にせず好きに書いたら良いじゃない!そういう所がイタいのよ!」
たしかに。周りにどう思われるかを気にしてる文章は得てして読みにくい。多分無意識の内に格好付けてたり、押し付けがましい主張が滲んでたりするからじゃないかな。
でも演出家の思想を客席に向かって大声で役者に叫ばせる脚本も往々にしてある訳で。
それら全てが全てうるさいかと言えばそうでもない。自分とは違う価値観だけどなるほどな、と思って飲み込めるものもあるし 単純に綺麗な言葉だな、と思うものもある。
てかある程度自分に酔ってなきゃ文章なんて書けなくないか。それが人の目に触れるものなら尚更。
うーん。
こうやってごちゃごちゃ考えてる時点でもう違う気もしてくる。そんな事気にせず書きたい事書けや!って声が聞こえる気がする。うるさいうるさい。
色んな人の意見が聞きたいなあと思う午後1時。
あああ三限あるのに遅刻だ遅刻。
リンゴ齧ってる場合じゃない。